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2013年06月03日

俺俺、小ネタ&感想!(ネタバレ注意)

俺俺、小ネタ&感想!

どーも、なぎさです!

やっとまとまったので、俺俺小ネタ&感想をupします!
今日分の通常日記はすでにかいたので、コチラ

ネタバレたくさんだと思うので、まだ見ていない方は注意!!!

まずは小ネタから。
・銀行に「FACE to Face」
・家電店のバックヤードでパナソニックの亀ちゃんポップ
・ナオの家の壁掛け表札が「本山」→「俺山」
・俺が消去されると俺山のモルモット人形も消去
・サヤカと会う飲食店の壁に巨大ゴリラの像と同じゴリラの絵が壁に描かれている
・サヤカの俺の死体の身体が亀の身体じゃない。(乳首の大きさが違う)
・車のナンバーが「394?」。4ケタ目は忘れてしまったんですが「サクジョ」?
ってところでしょうか。
初見で気付けたのはこれくらいですね。
挿入曲に惑星魂仁ソロwonderの前のダンスで使われたのと同じクラシックの曲が使われていたので、KAT-TUNファン的に「あっ!」って思った人が多いのではないかと。
監督は多分そういう意図はないと思うんだけど。

続いて感想。
「コメディーサスペンス」というカテゴリーのようですが、ほとんど笑えませんでした。
34人目の俺を探そうとしていたからからでしょうか。
小ネタ探しに必死になっていたからでしょうか。
笑えなかったのです。
クスッっともほとんどしていないと思う。
ベムの方が笑えた。
前情報があるがゆえに「考えるな感じろ」ができなかったんだと思います。
なので、私の中では「コメディー」作品ではなかったです。
でも、この映画はたくさんのことを問いかけていると思います。

「33人(34人)の俺」
この映画ではいろんな俺が目に見える形で具体的に現れてきていたので、非日常感が強くなっています。
でも、人それぞれ、いろんな自分が存在しているのではないでしょうか。
たとえば、「友達といるときの自分」、「恋人といるときの自分」、「家族といるときの自分」、「仕事場の自分」。。。
こんな感じで誰と接触するかによって「自分」の在り方というのは違うのではないでしょうか。
もっと言えば、自分が接した他者の数だけ自分がいるかもしれません。
または、他者に見せていない自分もいるでしょうから、それ以上かもしれません。
この場合の自分は映画と違って肉体的には増殖しませんから、精神的な自分の増殖と言うか。。。
だからこそ、「自分ってどんな人間?」という問いに対しての答えを明確に出すことは難しいのでしょう。
しかし、精神的増殖をしていても個人個人が「自分」というものを持っています。
「アイデンティティ問題」です。
こんなにたくさんの精神的増殖をしているのに、自分は一人であるのです。
一人だと思っているのです。
「自分が自分であること」。
これは難しい問題です。
私もまだまだあまちゃんなので、答えをバーンとだせるわけではありません。
でも、色んな人と接しているたくさんの精神的自分がいるのですが、そのたくさんの精神的自分が動かす肉体は一つなんですよね。
そんなことも解明のヒントなのでしょうか。
また、人は「こういう自分が自分の“素”」と言うことがありますし、自分の軸のようなものがあると思います。
その軸が何かと言うのはこれまた難しい話なんですが…
俺俺ではそれが「均」にあたるのかな?と。

「許せる自分と許せない自分」
映画では俺が増殖するにつれて「許せる自分」「許せない自分」が出てきました。
「好きな自分」「好きではない自分」という言い換えもできるでしょう。
それだけ精神的増殖をしていたら、許せる・許せない(好きな・好きではない)自分が存在して当然ではないでしょうか。
映画では許せない自分を消去(殺害)と言う目に見える形でわかりやすく表していましたが、一般的には「自分のこんなところは嫌いだから直そう」と意識的に行うことが多いと思います。
しかし、許せない自分、嫌いな自分を自分で消すために自傷行為をしてしまうこともあるでしょう。
消去という殺害はそういう自傷行為を表していた側面もあるのではないでしょうか。
そして、「均」はそこまで個性が強いキャラクターではなかったように私には見えました。
そのキャラクターがメイン3キャラ(均・大樹・ナオ)のメインであるということは大きな意味があると思います。
現代は「個性」というものがすごく求められている時代であると思っています。
しかしその反面、あまりに個性的な人やいわゆる「普通」と言う概念から遠い自分が軸にある人は非常に生きづらい。
「普通」の定義は大変難しいところではありますが、社会から求められている人間像というのは個々人思い当るところがあるのではないでしょうか。
例えば、性別、外見、能力…
「普通」の壁は至る所に存在します。
映画でも個性的なキャラほど「許せない自分」になっていたように思います。
本当は許したい自分でも社会から許されていない、認められていないからその自分を押し殺し、社会から求められている自分に合わせる。
現実世界でよくあることだと思います。
社会から求められる自分になろうと、適度に自分を抑えるのではなく、過度な抑えをしたとき、また自分で自分を抑えられる限界を超えた時、人は爆発します。
それが先ほどの自傷行為につながることもあれば、自分以外のヒト・モノ・コトに向かうこともあります。
なので、自分以外の他者には「普通」に見えていた場合にでも起こることなのです。
そういう場合のほうが衝撃度としては大きいでしょう。
また、許せない自分ではなく他者が出てきたとき、簡単に殺害していいのか?という問いを投げかけていたようにも思います。
今まで述べてきた問題と言うのは自分自身はもちろん、他者にもそれぞれ存在する問題なので、自分だけ良ければそれでいいわけでもないのです。

「あなた、見られていますよ」
この言葉は劇中の看板等で良く出てきましたね。
俺俺詐欺をしたなどの犯罪行為を見られていますよ、という劇中での意味はもちろん、日常生活が監視下にある現代社会というメッセージを送っているのではないかと思いました。
技術の発展によっては私たちはたくさんの恩恵を受けている反面、私たちの生活はより監視・管理されるようになっています。
どんな情報にアクセスしたか。
誰とどんなメールをしたか。
誰に電話したか。
いつどの電車に乗ったか。
いつどこを通ったか。
どんな買い物をしたか。
貯金はどれくらいか。
家族構成はどうか。
私たちは常に監視されています。
個人情報などを提供すればそれはわかりやすいですが、監視されているという感覚がなくても、勝手にデータがとられているわけです。
データだけでなく、肉体的他者が存在する限り、「見られること」から本当に逃れることはできないでしょう。
人に見られている、見られているかもしれない(監視・管理されている)という窮屈さ。
それが「あなた、見られていますよ」に込められているのだと思います。

監督が伝えたかったものとは違うかもしれませんが、この作品で思ったことを私なりに書いてみました。
また回数を重ねるうちに違う感想が出てくるかもしれないけど、とりあえず書き残しておきました。


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nijikame at 22:55│コメント(0) 俺俺 

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